手にしたA4の紙を確認し、泰啓が先に歩き出す。
「こっちだな」
そう指差しながら聡を振り返る。
強い日差しに目を細めながら、聡もゆっくりと歩き出した。
京都の夏は暑い。
そう聞かされてはいたが、これほど暑いとは思わなかった。
夏なんだから、どこも暑いに決まってるさ。
その決め付けたような考え方は、正しいか間違いかと言えば間違いだろう。
京都と言えば竹林や古風な町並みを思い浮かべる聡。むしろ他よりも幾分涼しいのではないかと思っていたため、期待外れの暑さはまさに炎獄。
二・三歩歩けば、喉や背中を汗が流れる。
帽子ぐらいはもってくるべきだったか。
小さなハンドタオルで気休めのようにパタパタと仰ぐ義父の姿が滑稽だ。
これが、市議会議員や地元の財力者を相手に仕事している敏腕税理士だとは思えない。
そもそも泰啓という人間そのものが、そういった世界の人物には思えない。少なくとも、聡には見えない。
どちらかというと、金や利益なんてものとは縁のない、そう 陶芸や絵画などの芸術の世界などでのんびりと暮らしていそうな存在だ。
まぁもっとも、陶芸であろうが絵画であろうが、収入無しで生きていけるワケはないのだろうが………
それにしても実に不似合いな仕事を続けている義父の背中に、ぼんやりと疑問が浮かぶ。
望んで税理士になったのだろうか?
自宅続きの税理士事務所は、父の仕事を引き継いだのだという。その、聡とは血の繋がらない義祖父は五年前に亡くなった。
仕事を本格的に泰啓に任せ、隠居生活でも始めようとした矢先に痴呆症を患った彼は、自宅の階段から転落して、呆気なくこの世を去ったのだと聞いた。
税理士事務所と地元有力者との太いパイプ。それを造ったのは、義祖父だという。
さぞかしやり手だったのだろう。故に、仕事から離れた途端に気が抜けたのかもしれない。
義祖父が亡くなった一年後、義祖母も後を追うように亡くなった。仕事一徹の夫を陰で支える、男性の側から見た"良妻賢母"であったらしい。
昔の人間は、一つのことにひたすら自分のすべてを打ち込む傾向がある。義祖父は仕事に、義祖母は夫と家庭に。
二人とも、己の捧げてきたモノを失い、心の糸が切れてしまったのかもしれない。
義祖母の場合、孫である緩の存在が生きる糧ともなり得た。だが、自立心を構築させ、ひたすらに気位ばかりの高くなる彼女の存在は、もはや義祖母の手には負えなかった。
幼稚園に上がる前に母親を無くしてしまった緩を、祖父母も父も、少し甘やかし過ぎたようだ。
その緩は今、関東の母の実家へ行っている。母というのはもちろん、今の義母のことではない。幼い頃に亡くした実母の実家だ。
実母は一人娘であった故、緩はただ一人の孫。関東の祖父母が逢いたいと願うのは、別に不思議なことではない。
再婚後も休みの度に緩を行かせるからという条件で、聡の母との再婚を納得させた。
「だから、俺たちが京都に行けば、母さんはしばらく一人になれるんだ」
早朝の自宅でそう言われても、聡にはどういう意味だか理解できなかった。
そんな義息子の顔に、泰啓は笑う。
「少し、母さんを一人にさせてあげたいと思うんだ」
そう言って一度口を閉じ、躊躇いがちに小さく告げた。
「お父さんが、亡くなられたそうだよ」
お父さん?
お父さんはあなたでしょう?
そう言いかけて、言葉を呑んだ。
――――― アイツがっ?
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